〜1946年創立〜

書道研究 墨州院


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エッセー


書道研究墨州院創始者菊池海雲が生前、地元新聞コラム欄へ書いた原稿が見つかったため、広く公開することとします。

顔写真

創始者 菊池海雲

 どこで道を踏み違ったか、気がついたところで戻るわけにはいかない。行き着くところのない書の道を、われ進むのほかなしである。
 実は尋常小学校を通して「乙」。国民学校と変わっては「可」。この評価は私の「書き方」、いまでいう「書写=書道」に付された 通信簿の中身だ。現在の評価でいえば1か2であろう。
 それなのに一番苦手だった書の道を追い求め、そして指導にも携わり、書作をするというのがなりわいとなってしまった。
 さて、当大船渡は、人口の割に、この書道人口が全国的にみても多い。書塾を営み、全国一流書壇においても活躍している プロクラスが多いのも大船渡の特徴だ。これら書人の約7、8割は地元気仙の大船渡で創設された、書道研究墨州院本部の門下 であり、何らかのかかわりのある人たちなのは心強いものがある。
 この稿、書道が苦手だったということから始めたわけでありその通りだから、それだけに自分自身の可能性を引き出すべく 苦労があったと言いたい。自分自身の可能性を生み出す苦しみを味わい、経験を今に生かそうとしている。従って、こと書道 に関する限りその指導法には誇れるものありと自負したい。
 とにもかくにも、自分のできることは、書の普及に努めること。口はばったいようだが、地域の書道芸術文化発展に資することである。
 書の道に紛れ込んで、そのまま進むことしかできない自分だからだ。戻るとすれば60年かかる。進めばせいぜい20年くらいだろう。 「人生80年」なればなり、である。




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